院長コラム

2012年03月01日院長コラム

被災地支援にいってきました

被災地支援にいってきました。
2月12日から一週間、東日本大震災で津波の被害にあった大船渡・陸前高田に、日本小児科学会の派遣医師として医療支援に行ってきました。諸事情により、インフルエンザ流行中のこの時期になってしまい、かかりつけの皆様にはご迷惑をおかけしてしまいました。

東北への長期出張は初めてで、寒さが不安でしたが、覚悟していたほどではありませんでした。でも、お天気だと思うと急に吹雪になったりで、さすが東北という感じでした。
大船渡も陸前高田も、津波の大きな被害にあい、たくさんの方が亡くなりました。被災後一年経った今でも、被災した町は深く傷跡をとどめていました。
陸前高田は海辺の松原が美しい町でした。7万本の松があったそうです。しかし、今では松原は跡形もなくなっています。報道で有名になった、一本だけ生き残った<希望の松>も、葉が茶色く変色してしまっていました。県立高田病院は4階まで津波にのみこまれ、美しかった7万本の松が窓にたくさん突き刺さったそうです。10人以上の患者さん、スタッフが亡くなり、助かった方たちも濡れた体のままふきっさらしの屋上で一晩を過ごしたそうです。
大船渡は、山合いの半島に海が深く入り込んでいるリアス式海岸の町です。大船渡病院は高台にあり、病院は直接は被害にあわなかったのですが、津波が来たときは、目の下を家々の屋根が流れていくのが見えたそうです。津波のあとは、避難してきた人たちと被害にあった人たちで、病院は大混乱におちいったようです。
大方のがれきは集められ、被災した土地は更地になっています。そのところどころに鉄筋コンクリートの建物の外枠が残っていました。ガラスはもちろんすべて割れ、中にはひっくり返った車や大きな木などがそのまま残っていたりします。美しかった町は、想像できない姿になってしまっていました。この場所に20メートルを超える真っ黒い津波がおしよせ、たくさんの人たちの命を奪っていったのかと思うと、胸がいっぱいになり、言葉がありませんでした。

高田病院は少し内陸に場所をうつし、仮設診療所で診療を始めています。大船渡病院ももとの診療をはじめています。小児科を一週間お手伝いしてきました。インフルエンザの流行はピークを越えていて、外来はそれほど多忙ではありませんでした。子どもたちはみんな元気で無邪気で、見慣れない私が診察してもニコニコとかわいい笑顔を見せてくれました。
病院のスタッフは、みな津波にのまれるという凄まじい経験をされた方たちです。みなさん家が流され、仮設住宅で生活していらっしゃいます。とても明るく、団結力をもって診療されていて、その姿は感動的でした。しかし、やはり被災経験の傷は大きく、PTSDなどに悩んでいらっしゃる方もいるようでした。

被災地支援に行ったはずなのですが、懸命に医療体制を立て直し支えている医師たちの姿や、仮設住宅で健気に生活していらっしゃる方たちの姿などから、かえって教えていただくことが本当に多い一週間でした。ここでの体験を、私の周囲の人たちにどう伝えていくか、どう生かしていくかが、私のとってこれからの課題となりました。


帰る日の朝、大船渡から車で20分くらいの碁石海岸という景勝地に行ってきました。
ひたすら広がる青い美しい海、切り立った断崖に打ち寄せてはくだける白波。波の音とウミネコの声。涙がでるほど美しい自然でした。被災地の凄惨な光景との対比が、心に深くしみました。